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古代は大都市だった群馬県?

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古代は大都市だった群馬県?群馬県情報発信館 ぐんまの会


日本三古碑の存在はご存知でしょうか?
三古碑というのは、那須国造碑・多胡碑・多賀城碑の三つを指します。



那須国造碑は700年に鎮座。(栃木県)
多賀城碑は762年に。(宮城県)
そして多胡碑は、ここ群馬県に711年鎮座されました。


この三碑は日本の特別史跡とされています。

この多胡碑にはこう記されています。

弁官符上野國片罡郡緑野郡甘

良郡并三郡内三百戸郡成給羊

成多胡郡和銅四年三月九日甲寅

宣左中弁正五位下多治比真人

太政官二品穂積親王左太臣正二

位石上尊右太臣正二位藤原尊



訳すとこうなります。
弁官局からの命令である。上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる。郡の名前は多胡郡とせよ。これは和銅4年3月9日甲寅に宣べられた。左中弁・正五位下多治比真人。
太政官・二品穂積親王、左太臣・正二位石上尊、右太臣・正二位藤原尊。



『羊に任せるから、郡の名前は多胡郡ね!』
ということですね。


沢山の渡来人がここで過ごしていたという解釈が有力で、羊というのも渡来人だということだそうです。
[私の名前にも羊が入っているんだよなぁ。(笑)]


古代の最先端技術が詰まった出土品も、数多く見つかっているのも事実です。渡来人が多く住む都市だったようです。
当時の渡来人とは中国からの人のことで、簡単にいうと大きな中華街とでもいいましょうか。

神戸や横浜よりも早くにできた中華街
肉まんとかも作られていたかもしれませんね。(笑)

ここから平城京に文化の種を持っていって花を開かせた。
国際都市多胡。今こそ立ち上がれ群馬県!!


古代の祭りを現代風にアレンジして再現したらおもしろいと思うんでずけどね。前方後円墳の上で太鼓を打ち鳴らし、レーザー光線を四方八方に。自然と科学の融合と、現代と古代の化学反応式。
そして、踊り子が妖艶に踊る。


そんな祭りが見たいなぁ。

行政関係者の方々、いかがでしょうか?
祭りをおこなってみませんか?

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